短編「血の契約」
午前零時を過ぎれば、俺の時間だ。
うち棄てられた雑居ビルの五階、以前は極道の事務所として使われていた一室に、俺は住んでいる。狭い六畳の居住スペースがついた五十平方メートルほどの空間。家具などは置いていない。見る人が見れば、非常に殺風景だと思うだろう。床にはじゅうたんも敷いていない。打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しになっている。
じゅうたんの代わりに、床には白墨で円形の文様が描かれている。円の中にはさらに円が描かれていて、内側の円の中には六茫星。六茫星のマトリクスのひとつひとつには、誰も見たことがないような文字が書き込まれている。二重の円の外縁部には、アルファベットで「MARCHOSIAS」と記されている。
これは知る人ぞ知る、悪魔召喚のための魔法陣だ。
そして、俺は悪魔召喚師。昼間はただの大学生だけどな。俺の家が所属する一族は、悪魔召喚師の家系だ。出自は東ヨーロッパのどこからしいが、この日本にやってきてから五百年は経っている。五百年を過ごすうちに、ゲルマン系の面影は殆ど失われたが、唯一、瞳の色だけは深い蒼。
「さて、始めるか」
俺の一族では、子どもたちは幼い頃から悪魔と関わりあいをもつ。遊び相手も悪魔なら、召し使いも悪魔だ。とはいえ、子どもの身で制御できる悪魔のランクなど、たかが知れている。下級も下級、人間の言葉を理解するのが精一杯な連中くらいだ。
年齢を重ねるほどに修行を積み、より高いレベルの悪魔を召喚できるようになっていくが、まれに、召喚の際に手順を誤り、悪魔に「喰われる」奴もいる。大抵は、周囲で控えている年長の召喚師がフォローに入るのだが、間に合わないこともある。
俺の兄貴も、召喚に失敗して「喰われた」ひとりだ。巨大な腕に掴まれ、一瞬で魔法陣の中に引き込まれた。俺はこの目で見ていたが、ほんとうは忘れたい思い出だ。
今夜、俺は二十歳になる。二十歳になれば、今後一生付き合っていく大悪魔を召喚するのがしきたりだ。大悪魔を召喚すれば、一族から一人前として認められる。
大悪魔の召喚には、サポートは一切つかない。悪魔を従えるも、悪魔に喰われるも、すべて本人の責任だ。ただひとりで成功させねばならない。
爵位がついた連中を呼び出すのだ。生半可な技量や精神力では、呼び出した悪魔に簡単に喰われてしまう。しかし、成功すれば、今後はプロの悪魔召喚師として、一族に稼ぎを入れることができる。一族での地位も上がる。
「気負っても始まらないな。気楽にやろう」
俺は漆黒のローブを纏い、燭台を部屋の四方に置いて蝋燭に着火した。真っ暗な室内が仄かに明るくなる。さきほどから焚き染めておいた香に煙った魔法陣が、俺の眼下でうっすらと輝いて見える。
俺は自らを護る結界の魔法陣に入り、召喚の呪文を唱え始めた。
「我は汝、精霊MARCHOSIASを召喚せん。至高の名において、我は汝に命ず。造万物主の名、そのもとに万物が跪く方のいと高き方の名にかけて、その威光にかけて!
いと高き方の姿によって成された我が命に応じよ。造万物主によって生まれ、造万物主の意思を為す我が命に従いここに現れよ。
アドニー・エル・エルオーヒーム・エーヘイエー・イーヘイエー・アーシャアー・エーヘイエー・ツァバオト・エルオーン・テクラグラマトン・シャダイ…いと高き造万物主の名にかけて、汝MARCHOSIASよ、しかるべき姿を以ていかなる悪臭も音響もなく、速やかに現れよ!」
わずかな静寂の後、俺の前に描かれた魔法陣が光を放ち始めた。光といっても、昼間の太陽の光のような神々しいものではない。薄黒く染まり、なおかつ周囲を照らし出す光。召喚の儀式に何度も立ち会う中で見てきた光だ。地獄の底から、悪魔が階段を昇ってくるときの前触れだ。
やがて光が薄れ、魔法陣の上に二つの人影が現れた。俺のほうからは表情は窺えない。必然的に窺うことはできない。無論、俺自身が正しく目的の悪魔を呼び出せたかどうかも確認できない。これから召喚した悪魔に命令を下し、悪魔がそれを受諾したときに初めて、俺は悪魔の姿をも支配し、この世に顕現させることができるのだ。
誤った悪魔を呼び出していて、誤った願いをかければ、悪魔はその願いを拒み、俺を喰らうことだろう。
俺は深呼吸をし、強い意志を以て人影に呼びかけた。
「汝、召喚されし悪魔MARCHOSIASよ、造万物主の偉大なるちからによってよび起されし汝を歓迎する。偉大なるテクラグラマトンの力によりて…。
汝、悪魔MARCOSIASよ、造万物主によりて永遠に定められし『法』と汝の『霊質』を以て、我が意思である『あらゆるものとの闘いにおいて、常に勝利し続ける』ことを助けよ。天地を揺るがし海をも煮沸させる恐るべき造万物主の名にかけて、我は汝に命ず。汝MARCHOSIASよ、『あらゆるものとの闘いにおいて、常に勝利し続けん』とする我が願いを為せ!」
「相変わらず、あなたの一族は人使い…いや、悪魔使いが荒い…」
魔法陣の中で、大きなほうの人影が笑ったようだった。
(…失敗したか?)
俺は魔法道具である水晶の剣を人影に向け、即座に退去の呪文を唱えようとした。
「…無駄です」
人影の言葉が耳に届くと同時に、水晶の剣は一瞬で塵芥と化し、俺の手の中で霧消した。俺は最後の手段である家宝「魔王ベールゼバブの懐剣」を抜き、自らの前にかざした。いかに爵位のある悪魔といえども、魔王の懐剣を持つ者の命はないがしろにできない。
「…ほう、それはベールゼバブさまの懐剣…面白いものを持っていますね」
大きな方の人影が、ゆっくりと魔法陣から出ようとする。
(何故出てこられる?…魔法陣が不完全だったのか?)
人影に懐剣を向けながら、俺は背中に滝のような汗をかいていた。足元の結界から一歩でも出れば、俺はこの人影に喰われるだろう。いや、魔法陣からいともたやすく出てこられる悪魔なら、俺ごときが作った結界など、物の数ではあるまい。
「退去の許可は、不要です。私は自らの意思で来ることも帰ることもできる身」
「汝悪魔MARCHOSIASよ、汝は聖なる魔術の所作に則り、大いなる造万物主の栄光のもとによりて従順に来たれり。我、汝に造万物主が永遠に定めた…」
俺は構わず退去呪文を唱え始めた。
「…無駄だと言っているのが、わからないのですか?」
人影は魔法陣から半身を出したまま、人差し指で俺の足元の結界を示した。俺が足元を見ると、結界の魔法陣が徐々に薄れてゆき、数秒もしないうちに完全に消えた。
俺は死を覚悟した。この悪魔は、強大すぎる。考えが甘かったか。
「…どうにでもしてくれ、参った」
俺はベールゼバブの懐剣を鞘に納め、漆黒のローブの中に戻した。そしてその場にあぐらをかき、人影を睨み上げた。
「諦めが早いですね」
「魔法陣をたやすく破れるようなご立派な方に、俺程度が太刀打ちできるわけないだろう」
「投げやりにならないでください。私には、あなたを喰らうつもりはありませんよ」
「…何だって?」
俺がいぶかしんでいると、魔法陣の中に控えていた小さな人影が声を上げた。
「お兄様ぁー、そろそろ許してあげようよー。驚かせすぎだってば」
「悪かった悪かった。それじゃ電灯ON」
大きな人影がパチンと指を鳴らすと、天井の蛍光灯が全て点灯した。同時に、燭台の蝋燭が全て消えた。この悪魔の能力か。
「蝋燭はいけませんよ、地震の多いこの国ですから、火の用心に越したことはありません」
「やけに俗っぽい悪魔様だな。もしかして、俺、召喚する相手を間違えたか?」
「いいえ、あなたは正しく私を呼び出しました。間違ってはいません。ただ…」
「ただ?」
「私は『偶然』あなたの召喚に便乗しただけです。別にあなたの召喚に応じなくても、私は自由に『あちら』と『こちら』を往来できます」
黒く染め上げられた西洋貴族風の衣装。左右の腰には黒い剣と白い剣を佩いている。漆黒の長い髪に、黄金色の瞳。肌の色は透けるように白く、唇は真紅。声を聞いていなければ、男装の麗人と見紛うばかりの美しさだ。
「つまり、俺はあんたの『便乗』に付き合わされて、肝を冷やしたというわけかよ」
俺は少し腹立たしくなって毒づいた。悪魔は薄ら笑みを浮かべながら俺を見ている。黄金色の瞳は、いたずらが成功して喜んでいる子どものような輝きをたたえている。
少し視線をずらすと、小柄な少女が立っていた。小さな人影のほうだろう。少女…で間違いないんだろうな。出るところが出ていない割には、レザーのボンテージ風のコスチュームを纏っていて、妙に露出度が高い。背中でぱたぱたと動いているものは、小さいながらも悪魔の翼か?
「…その女の子は?」
俺は興味を抑えられずに、悪魔に尋ねてみた。
「ああ、私の義理の妹のようなものです。ゴモリー様の養女ですよ。騒がしい娘ですが、大目に見てやってください」
「誰が騒がしいのよ!…って、はじめましてー、えへへ」
ボンテージ姿がまるで似合っていない少女は、唇の間から舌を出しながらぺこりと頭を下げた。銀色のショートの髪が揺れて、蛍光灯の光を反射した。
「さて、本題に入りますか…どこか、落ち着いて話ができるところはないですかね」
「お兄様ー、喉が渇きましたー」
「俺の部屋でよければ案内するけど…」
事務所の奥にはドアがあり、ドアを開ければ六畳敷きの日本間がある。俺が寝泊りしている部屋だ。一応大学生だから、テキストやノート、調べ物に使うパソコンやテレビなどが置いてある。ちなみに冷蔵庫や電子レンジ、洗濯機などの生活家電は、事務所の洗い場にまとめて設置してある。
万年床をたたみながら、俺は二人(?)に座るよう勧めた。
「狭いところですねえ…」
「お、お兄様、失礼だよ!…確かに、ゴモリーお母さまのお屋敷とは、比べることもできないけど…」
「…悪かったな。今の日本だと、都会の独り暮らしはこれが限界なんだよ」
俺は一旦六畳を出て、事務所の洗い場に向かった。冷蔵庫からお茶の二リットルペットボトルを取り出し、色も模様も大きさも全く違うコップを三つ用意する。お盆を探したが、どこかに紛れ込んだのか見つからなかった。
六畳に戻り、悪魔とその妹にコップを渡す。そしてペットボトルのお茶を注いだ。
「いっただきまーす!…んぐんぐんぐ」
「こら、もっと上品に飲みなさい。喉を鳴らすんじゃありません」
俺も自分のコップにお茶を注いで、悪魔たちの様子を窺いながら飲んだ。それにしても、やけに俗物な悪魔たちだな…。
「ぷはー!おいしかった!」
妹は非常に幸せそうな顔をしている。余程喉が渇いていたのだろう。兄の悪魔はといえば、勝手にテレビのリモコンを操作してチャンネルを変えている。
「今週のゲストはこの子ですか。見逃すところでした、危ない危ない」
「…なあ、はっきり言っていいか?」
俺はコップを置いて、総髪の黒い悪魔とボンテージが似合わない少女を見た。二人は顔を見合わせた後、僕の方を向いた。
「あんたたち…本当に悪魔?」
俺が見てきた悪魔は、もっとおぞましくて、威厳に満ちていた。バアルやアスタロト、バルバトス…見るものを震え上がらせる雰囲気を纏い、その瞳に射すくめられれば、恐らく声もあげられないだろうと思えた。
それに引き換え、目の前にいるこいつらときたら…。
「いや本物ですよ?悪魔です」
「冗談きついんだからー、ねえお兄様?」
二人は声を上げて笑っている。何だかこっちの頭が痛くなってきた。お引取りを願おうかな。
「…で、私と契約したいわけですよね?」
それまでの流れを断ち切って、悪魔が真顔で俺を見た。黄金色の瞳が、僕を値踏みしているように見える。俺はあぐらをかきながら、負けじと睨み返した。悪魔は微笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「あなたの一族とは、古くから面識があります。守護の契約と引き換えに、いくつもの魂を頂いてきました。あなたも、その一人になりたいと仰る?」
「仰るも何も、あんたの力が必要だから召喚したんだ」
「ふうむ…まあこちらは忍び旅のついでに、たまたまあなたが用意した『門』を使わせてもらっただけなのですが…」
あぐらをかき、腕組みをしながら悪魔は考えている。妹のほうは、勝手にペットボトルからコップにお茶を注いで飲んでいる。
「…いいでしょう。あなたの一族とも浅からぬ縁。優れた魂をいくつも頂戴した義理もあります。あなたも、死後、私に魂を譲り渡す覚悟がおありなら、力を貸しましょう」
「それはありがたい。では契約の儀式を…」
立ち上がろうとした僕を悪魔は遮った。
「いや、私は面倒くさいのは嫌いなんですよ。ほら、契約の儀式ってやたら長いじゃないですか?そんなことよりも、私はこっちのテレビを見たい。このゲストの子、可愛いでしょう?」
悪魔はブラウン管を指差した。深夜の歌番組を放映しているようだ。司会者は、お笑い芸人。ゲストというのは、椅子の上で足を組んでいる華奢な男のことだろう。長い手足に細い腰。肩耳にピアスを刺し、ラメ入りパープルのルージュを引いている。
「…もしかして、あんた…ゲイ?」
「失礼な。その通りですけどね」
俺は二歩ほど悪魔から離れて腰を下ろした。
「そういえば、あんたって、お兄様好みの雰囲気ねー」
少女が屈託なく笑う。いや、屈託なく笑いながら言うことでもないだろう。
「…やめてくれ、俺はいたってノーマルだ」
「いや、本当に残念です…」
「そんなに残念がらないでもらいたい」
悪魔は残念そうに首を振ると、再びブラウン管を眺め始めた。ゲストの男が、上半身裸で熱唱している。悪魔はテレビに釘付けになったまま、背後にいる僕に呼びかけた。
「ノーマルならば、却って『契約の試練』には好都合ですけどね…」
契約の試練…時に、召喚した悪魔が課してくるテスト。自分を呼び出した召喚師が、果たして自分に見合う能力を有しているか否かを試すという。試練を見事に乗り越えれば、呼び出した悪魔は召喚師の手となり足となり、生涯にわたって召喚師を守護する。
「聞かせてくれよ、あんたが俺に課す試練とやらを」
「覚悟はおありのようですね」
悪魔が横目で俺を見た。うっすらと残酷な笑みを浮かべている。
「爵位を持つ悪魔を味方につけようっていうんだ、多少の試練は覚悟しているさ」
「…よろしい。では申し付けましょう」
テレビ番組がCMに入ったのを見計らって、悪魔は僕に向き直った。そして、なぜか隣に座っている少女を指差して言った。
「私の妹は、実は処女です」
「…は?」
何を言っているんだ、この悪魔は。妹が処女であることと、契約の試練と、一体何の関係がある。
「養女とはいえ、ゴモリー様の眷属。将来的には率先して世の男たちを虜にしなければならない身の上。にもかかわらず!」
「…にもかかわらず?」
何かだんだん阿呆らしくなってきたぞ。
「胸はぺったんこ、尻はまったいら、ボンテージコスチュームは伊達以外の何物でもありません!…ついでに毛も生えていないときた!」
「お、お兄様!何てこと言うの!他人の前で!」
妹も、次第に状況を理解し始めたらしい。コップを置いて立ち上がり、ドアから出て行こうとする。悪魔は、少女が着ているボンテージの背中のストラップを握り締め、思い切り引いた。無様にも尻餅をつく少女。少女はストラップを握られながらも、四つん這いになって逃げ出そうとしている。
「…というわけで、つるぺたかつ男を知らない妹に、初体験でありながら絶頂を味あわせてやれたなら、契約しましょう」
「…しれっととんでもない事を言う奴だな、あんた」
「いやあああ!こんな狭くて汚いところで初めてなんて絶対にイヤー!」
「…狭くて汚いところで悪かったなつるぺた幼女」
少女は大きな瞳に涙を浮かべながら、ボンテージを掴んでいる兄の手を引き剥がそうとしている。とんでもない兄がいて、不憫な子だ。
「どうです?試練、受けてみますか?」
「やってもいいけど、思い切り嫌がってるだろうがこの子」
「あなたがその気なら、問題ありません。少しだけ手助けしましょう」
悪魔は少女を無理やり抱き寄せると、少女のあごに手をやって、自分のほうに顔を向けさせた。
「私を見なさい」
「いやよお兄様!」
「…あ、お前が大好きなシュークリームがあそこに」
「え、どこどこ?…ってないわよ!」
「うかつですね」
「あ!…」
悪魔と少女の視線が交わり、黄金色の瞳が朱色に変化した。その瞬間、悪魔の瞳を見てしまった少女の体から力が抜けた。少女の瞳は潤み、白い肌がほんのりと桜色に染まっていくのがわかる。
「あんた…魅了の呪法を使ったな」
「この程度は朝飯前です。さあ、これで妹はあなたの言いなりです。どうぞご自由に」
「ご自由に…と言われても…。あんた、そこにいるのか?」
「私はテレビを見ていますからお構いなく。声でわかりますし」
「…落ち着かないんだけど…」
「私がここにいるくらいで勃たないようでは、契約の試練の門前にも立てませんね」
悪魔のひとことで、俺の闘志に火がついた。こんなふざけた悪魔にバカにされるのは、非常に癇に障る。やってやろうじゃないか。
少女を見れば、俺の方を眺めながら頬を赤らめている。だが、自分から積極的に攻めてくるわけではなさそうだった。悪魔は、おそらく少女を「待機状態」にしただけなのだろう。彼女を絶頂に導けるかどうかは、俺次第というわけだ。
悪魔は背を向けてテレビを見ている。俺は万年床を引きなおし、少女の手をとって万年床に導いた。
「すまないが悪魔さん」
「なんですか、今いいところなんです。用件は手短に」
「電灯を落とすくらいはいいだろう?」
「はい、どうぞ。恥ずかしがり屋さんですね」
悪魔が指を鳴らすと同時に、部屋のあかりが消えた。ブラウン管に映る映像が、仄かな照明となって六畳間を照らす。
「…あともうひとつ。これって、犯罪にならないよな?」
「大丈夫ですよ、ああみえても私の妹は百歳を超えています」
「喜ぶべきか嘆くべきか…まあいいや」
俺は腹を決めると全ての衣類を脱ぎ、契約の試練に挑んだ。
小柄で軽い少女のからだを抱き上げると、俺はそっと布団に横たえた。不安と期待に満ちた眼差しで、少女は俺を見上げている。
俺は少女の銀色の髪を撫で、彼女の緊張を解きほぐそうとしたが、少女は唇を結んだまま、両手をぎゅっと握り、胸の前で祈るような仕草をしている。
「こわいの…」
聞こえるか聞こえないかという細い声で、少女は訴えるように呟いた。俺は微笑んで、少女のからだを抱き起こした。
「じゃあ、おにいちゃんがぎゅーってしてあげよう」
「うん、ぎゅー、して…」
自分から俺の腰に手を回して、少女はちいさなからだを預けてきた。俺は彼女に応え、細い肩越しに背中へ手を回し、彼女を優しく抱いた。
どれくらい、そうしていただろう。やがて、少女の眉間に寄っていた皺が消え、少女は潤んだ瞳で僕を見上げてきた。
「キス、して、いいかな?」
俺の問いかけに、少女は羞恥を含んだ微笑みを向けた。そして、静かに目を閉じた。少女の薄い唇に、俺は自分の唇をそっと重ねる。かすかな鼻息が俺の唇にかかる。彼女と俺は、長く優しいキスをした。
キスの合い間に、俺は彼女のボンテージを脱がしにかかった。背中のジッパーに指をかけると、少女は一瞬だけからだを震わせたが、キスをしたまま小さく頷いた。俺は彼女を驚かせないように、少しずつ、ゆっくりと、ジッパーを下ろしていった。少女が、俺の腰に回した腕にちからを込める。
「怖がらなくていいよ…怖くなったら言って?すぐにやめるから」
少女は瞳を閉じたまま、小さく頷いた。
俺は少女のおつむを抱いて、彼女の視界を自分の胸で塞いだ。そして、人差し指を少女の胸の蕾にあてがった。少女のからだが震える。震えがおさまるのを待って、俺は人差し指で乳首とその周囲を撫で始めた。少女には、視界を塞がれている分、俺の指の動きがよくわかるのだろう。満遍なく乳首をマッサージしている間に、少しずつ乳首が大きくなっていった。感じているようだ。
俺はとにかく乱暴にはせず、自分を抑えながら乳首をいじった。もう片方の手で、ボンテージを腰までずらし、背中を優しく撫でる。少女の体温はみるみる上昇し、薄い胸は大きく上下するようになってきた。
「ねえ…おにいしゃんのここ…かたく…なってる…」
俺はあぐらをかいて少女を脚の上に載せていたから、丁度少女の股間に、僕の股間が接触するようになっていた。硬いボンテージ越しにも、僕のペニスの感触がわかるのだろうか。少女は落ち着きなく腰を動かしながら、ペニスから逃れようとしていた。
「怖がらなくていいよ、触ってごらん…」
「うん…触る…」
細い指先が、俺の凶悪なペニスに触れる。少女が亀頭に触れた瞬間、俺のペニスは大きく反応して跳ね上がった。
「きゃ…動いた…」
「気持ちよくなると、動くんだ。もっと触って。君の手でいじってほしいな…」
「う、うん…いじってみる…」
俺の腰に回していた腕を外して、彼女は両手で俺のペニスを包み込んだ。少女の手のひらは火照っていて、包み込まれただけで俺は発射しそうになる。海綿体に血液が流れ込む律動で、俺のペニスは少女の手の中で暴れる。
「すごく大きくて…うふ…元気に動いてるよ?」
少しは精神的に余裕が出てきたのだろうか。少女は興味津々といった様子で、俺のペニスを弄び始めた。
「こんなに大きくて硬いの…あたしの中に入らないかも…」
「大丈夫。ちゃんと入るようにしてあげるから」
「どうやるの…?」
少女が僕を見上げた。僕は微笑み、少女のおでこにキスをする。
「うふ…おでこにちゅーされた…おでこのちゅー…きもちいい…」
「ありがとう。じゃあ、服を脱ごうか。自分で脱ぐ?」
「うん…自分で脱ぐ…」
少女は立ち上がると、よろけながらボンテージを脚から抜いた。俺の目の前に、少女の秘所がさらけ出される。産毛の一本も生えておらず、深い割れ目がくっきりと浮かび上がっている。俺は少女の陰部の美しさに、思わず見入ってしまった。
「やだ…そんなに見られたら…恥ずかしいよう…」
「ううん、とても綺麗だよ。さあ、腰を下ろして脚を開いて」
「あし…開くの?」
「きれいなまんこ、もっと見たいな…だめ?」
「ううん…いいよ」
少女は布団に横たわり、おずおずと両脚を開いた。俺の眼前に、いまだ汚されたことがない乙女の陰部がさらされる。俺のペニスは、乙女の股間の臭いに反応し、これまでになく強く勃起した。
「舐めて、ほぐしてあげる…」
「え…舐めるって…きゃ!」
俺は両腕で少女の細い脚をホールドし、股間に顔を埋めた。そして鼻先でクリトリスを刺激しながら、酸味のある膣周辺を舌で舐め始めた。
「やだ…そんなとこ…なめちゃ…や…あん…」
俺はあえて答えず、クンニに集中した。米粒ほどのクリトリスを舐め、時に唇で吸い上げる。そして発展途上の陰唇を舌で押し広げ、尿道口から膣口までのエリアを丹念に舐める。
「あふ…あん…やだ…へん…おまたが…じんじん…してくるよう…」
少女は腰を捩って快感に抗おうとするが、俺は逃がさない。執拗に少女のおまんこを舌で責め立てる。やがて、小さな小さな膣口の奥から、酸っぱい液体が滲み出してきた。俺はその液体を舌で絡めとり、陰唇とクリトリス全体に塗りつける。少女は俺の頭に両手を置いて、快感に耐えているようだった。
「何か…何かあたしの中から…出てきた…熱いの…出てきた…」
「気持ちよくなってくると、出て来るんだよ…」
「そうなの…あん!…これって…気持ちいいんだ…あ!」
少女はある程度までは快感を高められるが、からだが慣れていないせいか、絶頂を恐れているのか、自分にブレーキをかけているようだった。俺はクンニをひとまず中断し、息を荒げている少女の唇にキスをした。
そして、今度は唇の中に舌を入れ、かなり熱くなっている口内を舐め回した。少女の鼻息は、先ほどよりも荒くなり、少女の方から舌を絡めてくる。
「ふん…す…きふ…きふ…きもひいい…よ…」
俺は少女の手をとって、ペニスを触らせた。女の本能なのだろうか、少女は反り返った俺のペニスを掴んで、上下に擦り始めた。俺は片手で少女のおつむを抱きながら、空いた手で彼女の股間をいじり始めた。先ほどまでのクンニで、少女の股間はじっとりと濡れている。俺は人差し指の先で膣口をいじりながら、親指でクリトリスをマッサージした。
俺の指の動きが激しくなるほどに、少女の指にもちからがこもり、ペニスへの刺激が強まっていく。俺は自分の限界が近づいたことを知り、少女に語りかけた。
「…いれて、みようか?」
「う…うん…」
俺は少女の両脚を大きく広げ、まずはペニスで膣口周辺をマッサージしはじめた。舌とも指とも異なる刺激で、少女の快感を高めてやる。
「なんか…あっ…ぬるぬるしてる…よ…」
「俺の汁と、君の汁が、混ざっているんだよ…」
「いやらしい音…音がしてる…うんっ!」
少女の股間は、十分に潤っていた。俺は自分の人差し指を舐め、さらに少女の愛液で濡らし、膣口の中にゆっくりと侵入させた。どれくらいほぐれたかを知るためだ。
「あ!…い…いた…」
案の定、少女の中は非常に狭かった。途中で引っかかったのは処女膜だろう。俺は処女膜を回避し、指先をゆっくりと曲げ伸ばししながら、少女の内部をほぐしていった。
「あう…あん…あ…」
少しずつ、眉間の皺が薄らいでいく。俺は空いた手で、少女の銀色の髪を撫でていた。少女は怯えているのか、髪を撫でる俺の手をぎゅっと握っている。俺はなおも膣のマッサージを続ける。
やがて、膣の入り口が開き始めた。同時に、内部から愛液が流出してくる。今が挿入のチャンスだ。
「じゃあいれてみるよ…俺を信じて、脚を大きく開いて…」
「でも…怖い…」
「大丈夫。一度はいってしまえば、あとは気持ちよくなるから」
俺は片手を彼女に握らせて、もう片方の手でペニスを膣口にあてがった。膣口の周囲の愛液で亀頭をじゅうぶんに濡らし、ほんの数ミリずつ、膣口に出し入れする。最初は浅く、徐々に深く。俺の亀頭を感じるほどに、少女の緊張はほぐれてくようだった。俺は安堵し、彼女に告げた。
「ゆっくり…いれるからね…」
「う…うん…いたくしないで…」
「最初の一回だけ、我慢して、お願い。ね?」
僕は少女の瞳を見ながら言った。微笑みを作ってみる。少女は目に涙を浮かべながらも、頬を赤らめてうなずいた。
「お願い…おにいしゃん…」
「なあに?」
「あたしのこと…すきって…言って」
「うん、君のこと…すきだよ。大好きだ」
「ほんとうに?…ほんとうにすき?」
「好きじゃなかったら、こんなに勃起しない…大好き」
「よかった…いいよ…あたし、我慢するから…」
「ありがとう…いくよ」
俺は膣に対してペニスを水平に保ち、なるだけ抵抗を与えないようにペニスを割り込ませた。膣がぴくぴくと震えているのがわかる。少し進んだところで、処女膜にぶつかった。俺は黙って少女にキスをした。少女は救いを求めるように俺の首に腕を回し、唇に思い切り吸い付いてきた。俺はキスをしたまま、腰を一気に沈めた。
「ふぅ!…うう!…ううう!」
激痛が少女を襲ったのだろう、俺の唇を思い切り噛んだ。俺の唇から血が滲む。それでも、少女が味わった痛みに比べればささいなものだ。俺のペニスを咥え込んだまま、彼女のペニスが痛みに震えているのがわかる。生暖かい感触は、恐らく血液だろう。俺はこの瞬間に、乙女の処女を奪った。
「い…うぐ…うう…」
少女は唇を強く結び、痛みに耐えている。早く動かしたい衝動を俺は堪え、少女の痛みが和らぐのを待っていた。膣の拘束力は想像以上で、俺のペニスは意に反してより硬く大きくなっていた。
「はあ…はあ…はあ…んぐ…」
唾液を飲みながら、少女は深く息をする。そして、俺に微笑みを向けた。眦には、大きな涙の粒が盛り上がっている。
「も…もう…いいよ…動いても…あたし…がんばる…」
「うん、動くね」
血液と愛液で濡れた膣を、俺のベニスが蹂躙する。皮肉にも、血液のせいで動きは滑らかになっていた。ペニスを奥に進めると、すぐに突き当たりにぶつかる。少女の膣は浅かった。俺のペニスは、根元まで入りきらなかった。俺は亀頭と雁首だけで、少女の内部の感触を味わっていた。
「あっ!…あ!…い…あ…あふ…」
はじめのうちは、痛みに顔を歪ませていた少女だったが、やがて口を開け、甘い吐息を漏らすようになってきた。俺のペニスは、爆発寸前にまで引き絞られている。俺は括約筋を締めあげて、射精の誘惑に耐えている。
「もっ…と…動いて…よく…して…あ!」
少女の快感も高まってきたのだろうか。股間からは、卑猥な音が響いてくる。
男にとって、女の愛液は魔法の液体であり、浴びるほどに快感が増していく。
女にとっても、男のペニスは魔法のスティックであり、貫かれるほどに快感が高まっていく。
だから、セックスは魔法。
「やだ!…くる…なんかくる…くるよう!」
少女は俺の背中に爪を立て、迫り来る絶頂に激しく乱れている。目を瞑り、首を左右に振り、腰を押し付けてくる。俺も自分の限界がそこまで来ているのを感じながら、少女の膣の中でラストスパートをかけた。
「あ!…あ!…くる!…あ!…ああ!…ああああ!」
「で…でる…!」
「らして!…らして!…あああああああ!」
少女が信じられない力で俺を抱き寄せた。俺はためらいもなく腰を激しく突き出し、狭い少女の膣に精液を吐き出した。膣は小刻みに痙攣し、震える度に俺のペニスを締め上げていく。俺は何度も何度も腰を突き出し、少女の一番奥の部分に精液の塊を叩き付けた。
やがて、膣の震えが止まったころ、少女は気を失ったように両腕を解き、俺はペニスをゆっくりと引き抜いた。
金魚の口のように赤く腫れあがった膣口から、桃色の液体がとめどなく溢れ、シーツを濡らしていった。俺の精液と、彼女の血液、そして愛液が混じった液体だった。
「すご…かった…おにい…しゃん…だいしゅき…」
少女はそう呟いたあと、目を瞑って息を整え始めた。
テレビを見ていた悪魔は俺に向き直ると、笑顔を見せながら拍手をした。
「いやあ、お見事ですね。これで契約の試練は完了です。おつかれさまでした」
「試練はクリアー…ってことでいいんだな」
大きく息をつきながら、俺は悪魔に質す。悪魔は頷きながら、俺に握手を求めてきた。華奢な白い手を、俺は強く握り返す。
「それにしても、こんなつるつるぺたぺたで射精できるなんて、あなた真性のペドフィリアですね、感動しました」
「ガチホモに言われたい台詞じゃねぇ!」
「そのご立派なマーラー様…ちょっと触っていいですか?」
「頬を赤らめて何を言い出す!」
「いやちょっとだけでいいですから…」
「離せ!離してお願いだから!」
「さあ、私の目を見て下さ…ごぶ!」
後頭部から青黒い血を噴き出しながら、悪魔が崩れ落ちた。後ずさりをしながら見上げると、さっきまで俺の下でよがりごえをあげていた少女が、顔を引きつらせながら俺を睨んでいる。素っ裸に兄の返り血を浴び、手には醤油の一升瓶を握り締めている。
よくよく見れば、少女の股の間からは、先ほど俺が吐き出した精液が、糸を引きながら垂れている。これでは言い逃れのしようもありませんな。ははは。
「…あんた…あたしに…したのね…」
「は…はは…ほら契約の試練ということで、やっぱやるしか…」
「…これ、非合意よね?」
「い、いや…保護者の方の同意というか助力がありましたので一応…」
俺の目の前で、醤油の一升瓶が高々と振り上げられた。
「てんちゅーーーーーーーーーーーーーー!!!」
「うわああああああああああああああ!!!」
凄まじい勢いで一升瓶が振り下ろされ、限りなく重い衝撃とともに俺の意識は途絶えた。
召喚と契約の夜から、1か月ほどが過ぎた。
悪魔とその妹は、あの夜からなぜか俺の家に棲みついている。それは何故かと尋ねたならば。
「殴られた衝撃で、地獄へ帰る方法を忘れてしまいました」
悪魔は、一升瓶で殴られた衝撃で、断片的な記憶喪失になってしまったらしい。どこかへ行くあてもないということで、妹ともども、俺の部屋に居候をしているというわけだ。
妹は、地獄へ帰る方法を失った原因が自分にあると知ってかなり落ち込んでいたが、あっけらかんとしている兄の様子を見て、少しずつ元気を取り戻しているようだ。
それにしても、俺に断りもなく兄が事務所のスペースに家具を持ち込んだことには閉口した。
「何もないところで暮らせないですからね。金貨をふたつほど握らせたら、ホイホイと持ってきてくれましたよ」
何グラムの金貨を握らせたんだろう。
「このカーテンから向こうは、あたしのスペース。入ってきたら、殴り殺すからね」
妹は妹で、勝手にマイスペースを作ってるし。
「そうだ、居候になっているだけでは申し訳ないですから、妹を働きに出しましょう」
「ちょっとお兄様!勝手に決めないで!」
「というか、あんたが働きに出るという選択肢はないのか」
「地獄の大公爵に、下々の労働をせよと?」
結局、妹は近所の手作りパン屋でアルバイトをすることになった。関係のない話だが、あそこのパンはうまい。しかもピンク色の制服がかわいい。パン屋の店主、よくわかっている。流行るわけだ。
住民票がないと働けないということなので、俺が親父に電話をして、一族のお偉いさんから市役所に手を回してもらった。
「…本当に、そいつらマルコシアスとゴモリーの養女なのか?」
電話口で親父は疑わしそうだった。無理もない。
住民票ができたので、一枚を発行してもらった。妹のバイト先に提出するためだ。履歴書は適当に作成した。
「ちょっと!なにこの名前!」
住民票を読みながらぶちきれているのは妹だ。悪魔の方も住民票を覗き込み、あごに手をあてている。
「ガチホモー=マラースキー…なかなか響きのよい名前ではないですか」
「バイトするにも、本名を明かすわけにはいかないだろう?俺が徹夜をして考えた名前だ。ありがたく使え」
「あたしの名前は何よ!マンスジー=マラースキーって!」
マンスジー=マラースキーは住民票を握り締めて激怒している。
「義理とはいえ兄妹だからさ、ファミリーネームは一緒にしたんだけど?」
「そうじゃないわよ!どういうネーミングセンスしてるのかって聞いてるのよ!」
「HAHAHA!イッツアメリカンジョーク」
多少悪意を込めて名づけたことは否定しない。この迷惑な居候どもめが。
「私は気に入りましたけどね、ガチホモー=マラースキー」
「お兄様!騙されてるから絶対!」
「親父に頼んで無理やり作った住民票なんだ。異論は認めないからな」
「うぐぐ…早く…地獄へ帰りたい…ゴモリーお母さまぁ…ぐす…」
「泣くな妹よ、私がいるではないか」
兄が記憶を取り戻すまでの辛抱だからと、俺はとってつけたようなフォローを入れておいた。
というわけで、地獄の大公爵であらせられるガチホモー=マラースキーと、兄のおもちゃである妹のマンスジー=マラースキー、そして悪魔召喚師である俺の三人は、平穏な日常を送っている人々からは想像もつかないような経緯を経て、奇妙な共同生活を始めることになった。
「ねえ、お弁当のパン、持ったー?忘れないでねー!」
大学へ出るために身づくろいをしている俺に、事務所の洗い場から妹が声をかける。
「またバイト先で配給されたパンだろう、もう飽きたよスージー」
マンスジーではさすがに可哀想になってきたので、最近はスージーと呼ぶようにしている。ダメな兄もスージーと呼んでやっているようだ。
「贅沢は敵ですよ」
「なけなしの銭で家具を買い漁って文無しになったあんたに言われたくない」
「手厳しいですね」
「大学は何時に終わるの?」
「ガッチーと俺、今日はバイトだから。俺の帰りは8時頃かな。ガッチーは朝まで仕事のはず」
「じゃあ丁度いいわね。あたしも8時の閉店までシフトだから。お兄様の分のご飯は、チンしてすぐに食べられるようにしておくからー」
「助かりますね、さすがは私の妹です」
何のかんので、娑婆の生活に馴染んできているなあ、この二人も。ちなみに、ガッチーは新宿まで出てゲイバーでバイトをしている。スポーツ誌の求人広告を読んで、その日のうちに決めてきたらしい。働くのはイヤだと言ったくせに、現金なやつだ。
それにしてもガッチーのやつ、どんな格好でバイトしているんだろう。
俺が住む雑居ビルから大学までは、歩いてでも通える。雨の日にはバスを使うが、今日のような小春日和には、歩いてかよったほうが気分もいい。
街路樹はすっかり色づき、すでに大半は歩道に降り積もっている。コンビニのスタッフが、店の前の落ち葉を箒で掻き集めている。
道行く人も八割がたコート姿で、冬が近いことを暗黙のうちに示していた。俺はエアフォースのダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、テキストとノートを脇に抱えながら坂をのぼっていた。
「おーい!」
俺を呼んでいるのだろうか。周りには誰もいない。
振り返ると、パン屋の桃色制服を着たスージーが、包みを振り上げながら坂を駆け上がってきていた。
「どうしたの、スージー」
「もう、忘れるなって言ったのに!」
頬を膨らませながら、小柄なスージーが包みを差し出す。
「あ、ごめん、パンか」
「はい、ちゃんと渡したからね!」
スージーは俺に包みを押し付けると、小さく手を振って坂を下りていこうとする。
「あ、スージー待って」
「ん?」
僕はスージーに歩み寄って、銀色ショートの前髪をかき上げた。そして、おでこに軽いキスをする。
「俺の為に走ってきてくれて、ありがとう」
「べ…べつにあんたの昼ごはんが心配になったわけじゃ…パンを腐らせたらもったいないからよ!」
頬を真っ赤に染めながら、全速力で坂を駆け下りていくスージー。途中でぴたりと立ち止まり、俺のほうを向く。
「ご飯が冷めるまでに帰ってこなかったら、一升瓶で殴るからね!…バーカ!」
そしてそのまま、冬の気配に覆われ始めた坂道を下っていった。俺はスージーに押し付けられた包みを持ち上げ、ダウンジャケットのファスナーを下ろした。そして、パンを懐に入れ、そっとファスナーを上げた。
「…ま、こういう生活も悪くないか」
鼻歌交じりに、僕は坂道をのぼっていく。大学の正門が見える頃、十一月の太陽が街路樹を斜めに照らし出し、アスファルトの上に薄い影を落としていた。
(了)